活動報告

松代大本営

 奈良県内も含め、近畿各地の紅葉がこれから本番を迎える季節となって来ましたね。読売新聞(大阪本社版)22日付夕刊の一面にも、色づき始めた大台ケ原の様子が空撮写真付きで大きく紹介されています。記事によると、今年は夏の猛暑がカエデなどの葉を育てたらしく、かえって紅葉には良い影響をもたらしそうとの事です。大台ケ原の標高は1,600メートルそこそこです。紅葉は桜前線の逆で上から下へと降りてきますから、これから11月いっぱいをかけて、木々の紅葉がだんだんと里へと近づいて来る事になりますから、楽しみですね。ただ、クマに襲われる被害が各地で続出していますから、お出かけの際は十分に気をつけて下さいね。
 紅葉の名所は全国各地に我こそはと競うように多々ありますが、私が趣味にしているスキーで良く訪れる、志賀高原(長野県山ノ内町)もその一つに数えられています。ところが、私が訪れるのはもっぱら雪の時期が中心でして、紅に染まる志賀高原を実はよく知りませんでした。一昨年、NHKの「おはよう日本」で紹介されたのを見て、妻と二人で出掛けたのが最初です。で、先日、所属するスキークラブの取り組みで再びその地を訪れました。志賀高原の標高は1,600メートル~2,000メートルに掛けてですから、既に紅葉のピークは過ぎていて、志賀をご存じの方なら分かりますが、旭山などビワ池周辺がぎりぎりと言う感じでした。今回の志賀行きはメインは紅葉散策が目的では有りませんでしたので、時期を逃してはいたんですが旭山の紅葉はなかなかの物でした。来年以降は、秋のクラブ行事に志賀高原への紅葉散策を是非計画したいものです。

(ビワ池越しに望む旭山<1,520M>)


(ジャイアントスキー場から西舘山<1,750M>を望む)


(分かりますか?行き違う志賀高原ロープウエイ)

 で、志賀での取り組みを終えた帰りに長野市の松代町に足を延ばして、一度行ってみたいと思っていた、旧日本軍が建設した松代大本営の地下壕を見学して来ました。


(象山地下壕の入り口は、こんな感じです)


(入り口の壕内唯一のスロープは、測量ミスからだそうです)


(本坑までの間の狭い通路)


(測量に使った木杭)


(本坑公開部分の突き当たり、幅4M、高さ左右が2M、中央2.7M)

 勉強不足も甚だしく、行ってみてわかったんですが、壕は一つでは無く象山、舞鶴山、皆神山の全部で三か所に総延長13キロに及ぶ壕の建設と、三種の神器を納める賢所を弘法山に作る計画が有って、現在長野市の観光課が管理し、一部が一般公開されている私が大本営だと思っていた壕は、大きく言えば間違いでは有りませんが、厳密には大本営とは違い、延長6キロの象山地下壕で、各省庁などの政府機関や、日本放送協会に中央電話局等が入るところでした。

(入り口に設置されている説明板です)

 壕の入り口のとなりの敷地に「もう一つの歴史観・松代」と言う施設が有って、こちらでは、この松代大本営の成り立ちや朝鮮人女性が連れてこられて、慰安所が設置されていた事などの説明を受ける事が出来ます。始めて当地に行かれるようでしたら、まずは、こちらで説明を聞いてからそれぞれの壕を見学される事をお勧めします。その方が、中に入ってもずっと分かりやすいですし、「あ~なるほど、これがそうか」みたいな具合になると思いますよ。まぁ、それにしてもよくぞ掘ったもんやな~ぁと思うくらいに規模は凄いです。で、その工事を担当していたのが、西松組と鹿島組と言うことです。何処かで聞いた名前やと思わはりませんか。そう、何かと話題に出て来る西松建設とか、鹿島建設の前身です。まぁ、いろいろ有っても現在に至るまで、土建屋さんを営んで来てはるわけですから、それはそれでなかなか凄い事ですよね。で、この掘削工事に中心的に携わったのが、当時、我が国の植民地となっていた韓国や北朝鮮からの6,000人ともいわれる多くの強制連行者だったそうです。危険を伴う工事ですから、300人とも1,000人ともいわれる犠牲を伴っていて、入口付近には、その慰霊碑が建てられていました。

(慰霊碑の説明プレート)

 天皇・皇后の居所や大本営、宮内省が入る壕は、舞鶴山に掘った壕で、現在は気象庁の地震観測所として使われています。ここは、半地下式の地上部分の建物が三棟と、延長3キロの地下壕からなっていて、一般には、建物の一部と地下壕への連絡通路としての階段部分が公開されています。

(天皇居所から地下御殿への連絡通路)


(地下御殿への通路にある説明板)

 そうそう、天孫降臨の時に、天照大神から授けられたとする、鏡と剣と勾玉の三種の神器の事をご存知でしょうか。万が一にも、この舞鶴山の大本営の壕がやられた時にも、三種の神器は何が有ってもとられてはなるまいと、舞鶴山から伊勢神宮を仰ぐ方角に位置する弘法山に壕を掘ってその中に総ヒノキ造りの賢所の建設にあたったようです。しかも、こちらの壕だけは日本人のみの手で工事にあたると言う条件が付けられたそうです。
 当初、大本営や天皇壕として予定されたもう一つの皆神山の壕は、岩盤がもろくとても掘れるような山では無いと、工事にあたった西松組の監督が、「なんで、こんな山に掘るのか」と疑問視する程の見込み違いだったそうです。それもそのはずで、この山は死火山でして、安山岩だらけのがらがらの山ですから、この地質を知っていたとするならば、絶対に天皇御座所の建設場所になどなるはずの無い山なんですが、そうなったのには訳が有りまして、それは、皆神山と言うくらいで、神さんが集う山との事から、天皇の御座所には持って来いの場所として選ばれたのだそうです。ところが、工事に取り掛かってみると、先ほどのガラガラの地層ですから、予定変更で、食糧倉庫として使うことにしたそうです。この壕は、そう言う訳で今では落盤により完全に潰れているそうです。
 「大本営」、どういう響きで皆さんには伝わりますか。私は、戦後生まれで現実にこの響きは経験していません。事の真相は別として、ここから発せられる号令で、当時の国民は心一つに行動をしたわけですから、情報の統制は徹底されていたんですね。
 未だに、こうした過去のわが国と似たり寄ったりの国が有るようですが、「ええ事はええ」「いらん事はいらん」「あかん事はあかん」と、何でも自由にはっきりと物が言える事がやっぱり一番です。戦跡巡りをするたびに、この思いを強く懐かずには居られません。まさに先人の努力と犠牲の下に今の自由で平和な世の中が有るわけですから、何が有ってもこの世の中を守り発展させて行く事が、今を生きる世代の務めですよね。ならば、幾多の犠牲を伴った先の大戦の痛苦の反省の上に立って打ち建てられた、日本国憲法に書かれてある通りの世の中を目指して生きて行こうでは有りませんか。











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川西町議会議員
芝 和也