活動報告

救援ボランティア

 6月に入り、13日から開かれる議会に向けて、2日の議運を皮切りに議会準備が何かと忙しくなって来ています。先の町会選挙を通じて皆さんに投げかけた、川西町のまちづくりについて、町長等が出席して、住民の皆さんと直に意見交換の出来る懇談の場を設ける事や、役場の幹部職員らが皆さんの求めに応じて出向いて来て、役場の取り組みを説明すると同時に、皆さんの提案が役場の取り組みへ活かす場ともなる、「役場の取り組み出張講座」の具体化。それから、これまでも議論を進めている、ドアからドアへ町内ならどこでもどこからでも互いが乗り合って目的地まで移動ができる、デマンドタクシーの導入等、町長等とこれらの新たな制度化に向けた議論を詰めて行かねばなりません。その最初の論戦の場となるのが、今度の6月議会です。昨日、一般質問の締め切りでしたので、これらについて通告しておきました。
 選挙を通じての対話では、少なくない皆さんがこうした取り組みを求めておられました。一日も早い実施に向けて頑張ります。皆さんのお力添えもよろしくお願いします。

 さて、こうした中、3日~6日まで、3泊4日で福島県いわき市へ震災の救援ボランティアに出かけて来たんです。現地の様子ですが、皆さんもテレビの映像などでご存知の通り、津波にやられた地域は根こそぎ家ごと持って行かれていると言う、惨憺たる状況でした。






 また、家が残っていても中はほぼがらん胴になっている物がほとんどで、片づけて使えるような状態では決して有りません。また、直接の津波の被害が及ばない地域でも広範囲に渡って、地震の爪痕として、ほとんどの木造家屋で屋根の地瓦は大丈夫なんですが、棟は熨斗瓦ごと全部が地震の揺れでゆすり飛ばされて無くなっている状態で、どの家も応急処置として、ブルーシートで覆われていました。

 我々の救援チームは、2班に分かれて、現地での一日目は非難所での炊き出しを、二日目は自宅で被災されている皆さんへの、要望と状況との聞き取り活動に取り組みました。

 非難所生活は、プライベートのスペースがとれませんから、疲労は募る一方のようです。こうした状況では、何が有ろうとどんな所でも寝る事が出来るような猛者でも無い限り、被災した上に堅い床の上での長期間の生活は、疲労と心労の蓄積が有るのみで、その大変さは我々には図り知れません。きっと経験した者にしか分からない事でしょう。特に年を召した方はより一層の困難を抱えておられますので、仮設住宅も含めて、こうした長期間の避難生活を送るには、何はともあれ住居が不可欠である事を強く感じた次第です。





 炊き出しの方は、昼は、冷やしそうめんと、筑前煮と白ご飯を用意したんですが、日ごろが弁当中心の食事だと言う事もあって、皆さん大いに歓迎をしてくれはりまして、行列ができる一幕もありました。それと、ぼちぼち気温も厚くなりつつ有りまして、当日は28℃程でしたので、冷やしそうめんが好評でした。用意した100食余りもほとんどが無くなりました。

 夜は、カレーライスを用意したんですが、これもそれなりに食べてくれはったんですが、昼のそうめんの残りにカレーをかけてカレーそうーめんにして食べはる人がいはりまして、それが、口から口へと広がって、どんどん注文してきはりますので、あわてて、そうめんをゆがいて提供させてもらいました。とにかく、昼も夜も現地一日目の炊き出しは大好評でした。

 現地2日目は、完全ではありませんが、一部ライフラインが復活して非難所から自宅に戻って暮らしておられる被災者の皆さんを訪問し、東電や、国や役所。それから、私ども共産党などへの要望やご意見をお伺いに参りました。
 何方も、罹災証明等の手続きは済まされていましたが、当座住める状態に回復させる為の工事費などは、今のところ全部自費との事でしたし、後からこれらの保障が受けられるかどうかも全く分からず、とにかく制度も含めて活用できる物の有無や、欲しい情報が全然届いていない事に、多くの方が不安を募らせておられました。
 また、非難所には届けられる救援物資や水も、自宅で避難生活を送っておられる方には全く何の案内も無いし、届かないとの事で、これには、せっかく、家を流された方のために非難所を開けても、自宅非難者の方には救援物資等が届かないので、ここら辺を、行政はしっかり把握して、同じ被災生活を送っている以上は公平に対応してほしい等の、要望が各々語られていました。当日お伺いした、こうした要望は、私どもの現地対策本部に伝達して、帰って来た次第です。

 今度の活動を通じて認識を新たにしたのは、こうした大震災が発生すると、今度の場合で言えば、地震発生直後の津波の避難誘導にしても、その後の情報の伝達にしても、一部の地域や被災者には届いていたかもしれませんが、圧倒的多くの皆さんが口にされていたのは、一切、何の指示も誘導も入ってこなかったと言う事が、共通していました。ですから、どうして津波から逃げたかと言えば、「こんな大きな地震の後には必ず津波が来るぞ」と昔から伝わって来たので、それを頼りに住民による自主避難が中心になった様でした。
 行政としても、一生懸命に発進していたかも知れませんが、それが、全ての住民にきちんと通る事は無かったと言う事です。正確に速やかに全ての住民に情報の伝達を行き渡る術を、如何にして確保するかが、住民の一番身近に存在する町役場の務めに他なりませんし、政治に携わる者としても、肝に命じ大きな教訓としなければなりません。

 救援ボランティアは、これから長丁場になりそうです。次回は20日からの予定です。都合の付く限りは出来るだけ現地にも出向き、出来る事で力になれればと思っています。










ぜひ、ご意見・ご感想をお聞かせ下さい。

川西町議会議員
芝 和也